DeepSeekという新興のAIモデルが登場し、「GPUの使用量を抑えながら効率的に言語モデルを学習できる」と伝えられたことで、市場の関心は一気に集まった。
生成AIの開発においては、これまで大量のGPUを用いた学習コストが問題視されていたため、「GPU不要」という言葉は、インパクトを持って受け取られた。
その影響を受け、NVIDIAの株価は一時的に大きく下落した(以下のチャートを参照)。
AIの進化を支える基盤として絶対的な存在だったはずの同社に対し、「不要になるかもしれない」といった極端な言説すら飛び交った。
ただし、現在(2025年7月)において、株価は回復し、更に伸ばしている。

この一連の流れを見て、私はある種の違和感を抱いた。DeepSeekの技術は本当にそこまでのものなのか。そして市場は、どのような構造の中で、このような判断を下しているのか。
この違和感こそが、本稿の出発点となった。
これを払拭するためにChatGPTとの壁打ちを行い、そのプロセスも一部紹介しながら、考察をすることにした。
GPU不要論への違和感と、氷山構造の理解
DeepSeekが注目された背景には、「GPUの使用量を抑えながら効率的に言語モデルを学習できる」という説明があった。
この特徴が話題となり、一部では「AIの開発においてもはや大量のGPUは必要ないのではないか」という見方が広がった。
私は、その主張にどこか引っかかりを感じていた。
生成AIの仕組みを本当に理解したうえで語られているのだろうか。
そもそも、GPUはどのような意味で“必要”とされてきたのか。
DeepSeekのようなモデルが「GPUをさほど使わなくてよい」と言われる根拠はどこにあるのか。
私はその前提を整理するために、ChatGPTに問いを投げてみた。
生成AIでは、GPUは何に使われているんですか?
DeepSeekのようなモデルが、なぜ“効率的”だと言われているのでしょうか?
返ってきたのは、こういった内容だった。



大規模な言語モデルを構築するには、大量のテキストデータを使った事前学習が必要です。この過程では行列計算や勾配最適化が繰り返され、高性能なGPUが使われます。一方で、すでに学習されたモデルを使った生成処理は、比較的軽い計算で済みます。
私は改めて問い直した。
GPUは、普段のGPTの出力に使われていると思っていた。でも実際には、それよりも“その土台となる学習”に必要だったんだね?
ChatGPTは、こう答えた。



はい。普段の出力、つまり対話や文章生成の場面では、GPUはあまり必要とされません。しかし、その背後にあるモデルを構築する段階では、大量の計算資源が不可欠です。
この説明を聞いて、「なるほど、そういう構造なのか」と思った。
GPUは、生成AIが“何かを答える”その瞬間には、それほど重要ではない。
しかし、その背後にある知の構造物を“育てる”ために、GPUは必要だった。
これは、氷山の構造に似ている。
表層には軽やかに生成される言語が見えるが、その下には膨大な計算資源と学習工程が沈んでいる。
比喩の着地:構造が見えた瞬間、浮かび上がったニワトリと卵


構造の全体像がうっすらと見えてきたところで、私はDeepSeekの“効率性”について改めて考えていた。
GPUをさほど使わないという印象が広がっているが、それは実態に即しているのだろうか。
私はChatGPTにこう尋ねた。
DeepSeekはGPUをあまり使わないと話題だけど、実際にはどうなんだろう?
返ってきた答えは、次のようなものだった。



「実際にはそうではありません。米Microsoftのセキュリティ研究チームが、DeepSeekがOpenAIのAPI出力を不正に利用してトレーニングデータを取得していた可能性を指摘しています。
さらに、Hugging FaceやGitHub上のトレーニングレポートからは、大量のNVIDIA A100やH100といった高性能GPUを使って分散学習していたことが判明しています。
つまり、表向きは省リソースでも、実態はフルGPU依存型のトレーニングだったということです。」
この回答を聞いた瞬間、私の中で一つの比喩が形を取り始めた。
DeepSeekは、ニワトリと卵で言う“卵”ではないか?
すでに存在する大規模モデルの知識や出力をもとに形成された存在。
自らを一から育てたのではなく、既存の知の源から取り出されたものに近い。
では、その卵を産んだのは誰か。
GPT、Gemini、Claude、LLaMA。これらが、ニワトリにあたる。
そして、そのニワトリを育てるために必要だったのが、まさにGPUである。
GPU不要論という言葉が取り沙汰されたが、構造を見ればむしろ逆である。
GPUは卵の誕生には直接使われていないが、ニワトリを育てるには不可欠である。
この比喩が浮かんだことで、DeepSeekとNVIDIA、そして生成AIの構造が静かに一本の線でつながった。
市場は理由を待っていた──DeepSeekは調整のきっかけにすぎなかった
NVIDIAの株価は、長期にわたって上昇を続けていたが、投資家の間ではすでに「過熱感」が意識されていた。
2025年5月末時点でのNVIDIAのPBRは約39倍、同業他社の平均(約2倍)を大きく上回っていた。
PERも約44倍に達し、株価が将来期待に過剰に織り込まれているという見方が強まっていた。
市場は、「どこかで調整が入るだろう」と感じながら、その引き金を探していた。
そこに登場したのがDeepSeekだった。
「GPUをさほど使わずに、効率的なモデルを構築したらしい」という報道が一部で流れ、それが“売りのタイミング”を正当化する材料として使われた。
マーケットは、過熱した銘柄が売られるとき、いつも都合のよい象徴を必要とする。
DeepSeekは、GPU依存という構造に疑問を差し込むための、ちょうどよい存在だった。
だが、下落の理由はDeepSeekそのものではない。
それはあくまで、市場全体が待っていた“調整”という文脈の中で起こったにすぎない。
Geminiによる考察評価──「卵とニワトリの比喩は非常に本質的である」
この比喩表現をGeminiにも問うてみた。そして、次のように評価していた。
DeepSeekの技術が“卵”であり、それを生み出す“ニワトリ”がGPTなどの大規模モデルであるという比喩は、構造の本質を捉えている。GPU不要論が出たことで一時的にNVIDIAの価値が疑問視されたが、むしろこの構造を理解した投資家は、GPUこそが不可欠だと再認識した。非常に鋭い考察である。
GeminiでもAI産業の力学と市場心理をともに的確に捉えていると評価している。
まとめ──GPUは再び「見えない土台」として認識された
GPUは、卵の誕生には直接使われていなかった。
それでも、ニワトリを育てるには不可欠だった──。
その構造が、時間をかけて市場の中でも共有されていった。
DeepSeekをめぐる報道が一巡し、実際には高性能GPUを用いた大規模な学習が行われていたことが明らかになると「GPUはもはや不要なのではないか」という論調は静かに後退していった。
私はこの一連の流れを、ChatGPTとのやりとりを通して追いかけた。
問いを投げ、返答を受け、考えを整理し直す中で、「氷山の構造」や「ニワトリと卵」という比喩が自然と生まれてきた。
情報の断片をどうつなぐかは、受け手の思考に委ねられている。
DeepSeekもまた、その構造を読み取る者にとって、ただの“ニュース”以上の何かを示していた。
そしてその最後に浮かび上がったのは、GPUという目立たぬ土台の存在だった。
まとめ
本ブログではChatGPTを積極活用し、記事のベースとなる着想を得ている。
ふとした疑問が湧けば、この記事のようにChatGPTと「壁打ち」してみる。
そこには、気付き、考察、あるいは違った視点が見えてくる。
何度も壁打ちすれば精度がまし、時にGeminiやGrok、あるいはGoogle検索でセカンドオピニオンを取れば、おそらく、私のような専門外であっても、一定クオリティを有する考察が可能になるのである。









